ミャンマー瞑想記② -ユーグレナ

#① の続編

一人で海外に行くのは、大学三年生の時に一ヶ月中国・チベットに行って以来。今回も横浜YCATからリムジンバスで成田へと向かった。中国に行ったその当時、初めての一人旅に心地よい緊張をしていたのを覚えている。

 

航空会社は、タイ国際航空。乗客のほとんどはタイ人。僕と同い年くらいの日本人は一人も見かけなかった。いつもは大体、隣の人と仲良くなったりするのだが、隣は空席。今回は主に休息をとることになりそうだ。

 

機内食は照り焼きチキン、生ハム、パン、デザート。食後に日本茶。非常にサービスがよく、思っていたよりも快適だ。7時間もしないうちにバンコクに到着した。

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初めて来るバンコクは、世界中から旅行者が集まっていた。欧米人は、気前のいいタンクトップと短パンをはいて皆生き生きとそれぞれの目的地に向かって目を光らせている。ムスリムもいた。だが、何故かアジア人とマイノリティーは少ない様子。

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バンコクからマンダレーに向かう機内。機内誌に載っていたバングラディシュの記事をみて、「ユーグレナ」という日本企業のことが思い返された。

 

学生時代にバングラディシュへと旅に出た現ユーグレナCEOの出雲充さんは、現地で初めて栄養失調の人や、いわゆる”貧困”を目にし、衝撃を受けたという。その時の原体験から、ユーグレナ(ミドリムシ)を培養した事業を展開、環境問題や食糧問題改善に向けたメッセージを常に発信されている。

出雲さんの言葉を思い起こす。

 

われわれ20〜30代の起業家には、お金持ちになりたいという動機がないのです。生まれた時から貧乏だったことはないし、食べるものも着るものも住むところも全部ある。ユニクロも吉野家もあるし、お金はこれ以上いらない。そう考える世代なんです。われわれにとって大事なことは、ワクワクすること、面白いこと、役に立つこと、何かひとつでいいのです。

 

It’s difficult to say what is impossible for the dream of yesterday is the hope of today and the really of tomorrow.

 

自分もわくわくしながら、これからの旅を思う。また、ユーグレナの社是は、これから長期間旅を、そして瞑想へと向かう自分の背中を押してくれた気がした。

 

バンコクからマンダレーに向かう機内で、隣のミャンマー人のおばさんと仲良くなれたのは大きかった。到着してすぐに、タクシーをシェアしマンダレー市内へと向かう。

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初めてのマンダレーは、衝撃の連続だった。戦後の闇市みたいな露店とそこに集う人々のエネルギー。女の人がフツーに路上で身体を洗う姿や、家畜を屠殺する若者。想像以上にエネルギッシュだ。

 

人々は、とても優しい。街をふらふらと歩いていると「こんにちは」と声をかけてくる。街のはずれのひっそりとした所に教会をみつけた。御茶ノ水で5年程生活をし、その後この地で神父として過ごしているおじさんと話し込んだ。

 

今の日本のことについて、たわいない話しから、婚前の性交渉についてなど深いことについても話し込んだ。ミャンマー人は、コミュニケーションが非常に上手だ。ぶっきらぼうに言葉を投げかけてはこず、矢継ぎ早に質問をなげかけつつ、しっかりと聞く体勢をとる。非常にスムーズに事がすすむ。

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この時点で、バンコクで一睡もしていないこともあり、疲労がピークに達していたため早めに宿についてすぐに微睡んだ。

 

 

ミャンマー瞑想記①-On Your Mark

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横浜から、成田へと向かう高速バスの発着点近くのスタバで、チャゲアスの「On Your Mark」をのりのりに聞きながらブログでも書いておこうかと。

今日からしばらくの間、ミャンマーに行ってきます。細かな変更はあると思いますが、帰国は一ヶ月後を予定しています。

バンコクで飛行機を乗り継いだ後、まず向かうのは、ミャンマーの奥地、マンダレーという地。

その場所で、ヴィパッサナー瞑想(Vipassana Meditation)を行うことになっています。

ヴィパッサナー瞑想とは、10日間、外部からシャットアウトされた状態で、人と話すことはもちろん目を合わすことも禁じられた状態で瞑想を行うもの。酒・タバコはもちろんのこと、読書や運動、日記をつけるなどすべてが禁止です。持ち込める持ち物はほとんどありません。朝4時半に起床し、21時半に就寝です。一日二食の僅かなベジ食が与えられる以外のその間、ひたすら己との対話、瞑想に打ち込むわけです。

もともと、大学を卒業する前に一度、何かしらの方法でこれまでの人生をゆっくりと振り返ってみたいと思い、色々調べていたところ、この10日間のプログラムに行きつきました。そもそも、この瞑想修行は、千葉・京都にもまったく同じプログラムを行っている施設があるのですが、時間もありますし、どうせやるのなら、このプログラムを確立された創始者の生まれ故郷でやってみたいと思い、今回の渡航を決めました。

何故、瞑想か、そして何故ミャンマーを選択したのかは今後書いていこうと思います。先日、高校生の時に読んで以来久しぶりに村上春樹さんの「走る事について語る時に僕の語る事」を読みました。

そこに書かれてた考えが今の僕の気持ちと少しリンクしていたので載せておきます。

(何故人は、苦しいことにあえて挑戦するのだろうか)

それは、苦しいからこそ、その苦しさを通過していくことをあえて求めるからこそ、自分が生きているというたしかな実感を、少なくともその一端を僕らはその過程に見いだすことができるのだ。生きていることのクオリティーは、成績や数字や順位といった固定的なものにではなく、行為そのものの中に流動的に内包されているのだという認識に(うまくいけばということだが)たどり着くこともできる。

基本的に自分は、3月生まれということもあり、幼い時から何をするにも一歩遅れてしまうことが多かったので、常に孤独でいることに慣れ、またそれを苦にしない性格なのですが、どんな10日間になるかまったく想像ができず、しっかりとやり遂げられるか心配ではあります。でも、あえてそのような苦しみを求めて、何かをしっかりと得てこようと思います。

備忘録として持ち物を以下に載せておこうかと。

【もちもの】

<下準備>

・  パスポート

・  VISA (東京の大崎にあるミャンマー大使館でビザを取得。ミャンマー渡航の際、VISAは取得必須で多少煩雑なのではやめの取得をおすすめします。)

・  予防接種(主治医によると、ミャンマー・バングラディッシュとインド辺りから様々な感染症のリスクが高まるとか。キリがないので、期間と予算の関係からA型肝炎と破傷風のワクチンを打ちました。更にB型肝炎・狂犬病・腸チフスあたりを接種するのがベターかと思います。)

・  海外保険(上記と同じくミャンマーあたりから感染症へのリスクが高まるため、念のため加入。僕は三井住友海上を選びました。)

・  クレジットカード、外貨(日本ではミャンマー通貨に換金できないのでドルを)、現地通貨をひきだせるキャッシュカード(トラベラーズチェックは、ミャンマーでは使えないので持って行きません)

<書類など紙の類>

・  Lonely Planet

・  パスポートのコピー

・  保険事項が記載された用紙

・  筆記用具、メモ帳(博報堂ケトルのCEOからイベント頂いた丈夫なもの)

・  本

・  家族や友人の写真(現地で仲良くなった人に家族を紹介するときに)

<電子機器類>

・  iPhone5、iPhone4 + 充電器、eneloop

・  一眼レフ、コンデジ

・  チェキ(現地の人を撮ってそのままあげようかと)

・  変換プラグセット (様々なタイプに対応できる優れものを)

<服>

・  瞑想中の服(簡素で着心地がよいものを)

・  捨てても構わないパーカー(基本的に暑いところに滞在するので必要ないとは思いますが)

・  サンダル(登山ショップで買った足にフィットするやつを)

<その他>

・  マネーベルト

・  パックセイフ(バックパックをまるごとロックできるやつ。バンコクで空港泊しなければならないのでその時に使用。)

・  ハンガー

・  トイレットペーパー

・  虫除けスプレー

これ以外にも必要かなと思うものはたくさんますが、あげて行くとキリがないので後は現地で調達することにします。小学生の時、遠足の持ち物欄に記載されているものだけではなんか物足りなと思っていた時とまったく同じ気持ちですが、本当に大切なもの以外はなんとかなると思います。

現地では、有り余る程時間があると思うので、なるべく現地での事をブログにまとめようと思っています。

移動中は、これまた久しぶりに沢木耕太郎さんの「深夜特急」でも読みながらこれまでとこれからのことを思いつついこうかと。

それでは行ってきます。

ちょっとだけ、とくべつ。 横須賀のカフェ

生まれ育った横須賀の写真を撮りたい。そう思うようになってから漠然と横須賀の食について興味を持ち始めました。

早速、横須賀の観光業に携わっている知人に教えてもらい二軒の素敵なカフェに行ってきました。あれこれ書くのは面倒なので主に写真だけです。

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② PRIME BRUNCH

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対照的な2店だけど、両者ともしっかりとしたフィロソフィーをもっていてとても居心地がよかった。

少しだけ店主の方とお話をし、お二方とも旅から物事のインスピレーションを受けているような印象を受けた。それをこうして具現化されているのだ素敵でした。横須賀のデートのワンシーンとしてもとっても心弾む一時が過ごせると思う。

中国横断記⑦ シャングリラ前半 理想郷

#の続編

「中国という国は、ひとつの国に色んな国家が合わさった国だね。」

以前、尊敬している先輩で今は北京で仕事をされている方が言っていたこと。東側の成長著しい富裕層とインターネットの「イ」の字も知らない西側の純朴な少数民族。上海から旅を始め、今ここに至るまでに冒頭の言葉の意味を実感していた。

世界中から麗江に集まる旅人達がその後に向かうルートは大きく分けて二つだ。一つは、トレッキングで有名な虎跳峡。もう一つがチベットらしい雰囲気の残るシャングリラだ。

ママナシで話した旅人は、前者の虎跳峡に向かうという人がほとんどだった。虎跳峡(英語で、Tiger Leaping Gorge) のTiger の部分はもう何度も耳にするくらい皆が虎跳峡の話しをしている。僕は、シャングリラからそのまま途中の街を経由して、成都に抜ける予定だったので迷いなく後者を選択した。(欧米人のほとんどは、虎跳峡にいってました。)

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ママナシから徒歩で30分程のところのバスターミナルでバスのチケットを買い、シャングリラへと向かう。前の記事で、中国のバス移動の辛さについて少し触れましたが、「ニーハオトイレ」と呼ばれているように中国のトイレ事情は最悪で、もし乗車中に便意が来たらどうしようと思っていても、ニーハオトイレを想像すると自然と便意も静まっていく。この頃には、5,6時間のバス移動も苦ではなかった。

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麗江から5時間程でシャングリラに到着した。シャングリラは、チベット自治州で「カム」と呼ばれる地域。今もお世話になっている横浜の旅行代理店の方に伺うところによると、このカム地域は、チベット系の中でも結構過激な人たちが多い地域で、焼身自殺を行うのもこのカム地域の方らしい。

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雲南省に入ったころから、ルートを策定するにあたり色んな情報を集めていたが、シャングリラ以北に行くのは時期的に不可能(公安の取り締りなど)だと推測していた。「戦後最大の反日騒動」とも言われた騒動だが、東側の中国人と日本人は容姿に大きな差異はないので黙っていれば両者の見分けはほとんどつかない。(服装などの違いはわりと顕著だが。)しかし、西側、このチベットまでくると僕ら日本人と容姿が明らかに違う。大きな違いは、肌の色で、チベットは標高が4000m超えるような集落があるくらい高山地域であり、それ故、皆日焼けをし肌が黒い。そして、高山で生き抜く屈強でずんぐりとした体つきをしている。

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もともと僕は、このシャングリラに滞在した後はバスで山越えをし、成都まで抜ける予定でいた。しかし、日本人だとばれて何をされるかはわからない不安と何よりも目的地まで事故が多いという決定的な事実とが脳裏によぎり、シャングリラ滞在初日はずっとこの先のことを考えていた。結局、考えは決まらないまま、降ったりやんだりする不安定なシャングリラの空を見つめながら、床についたのでした。(後半に続きます。)

(2012 9.14)

中国横断記⑥ ママナシゲストハウスを求めて

# の続編

大理で初めての朝。時計の針は7時を指しているのに空はまだ暗かった。

中国は、アメリカなどとは違い国内時差を定めていないので、標準時となっている北京からどれだけ西に来ても時差はなく、雲南省ともなると日が暮れる時刻はとても遅く、それゆえ朝がやってくるのも遅い。9時頃になってようやく太陽がその顔を見せる。

大理の不思議な朝がやってくる前に次の地、麗江へと向かった。

麗江に来た理由は、いくつかあるのだが、その一つに「ママナシゲストハウス」を訪れることがあった。地球の歩き方やロンプラにも紹介されていて、日本人にもその名が知られているよだ。

世界遺産にも登録されている麗江古城内を地図を頼りに歩き、探し始めてから1時間程でママナシゲストハウスに到着した。(麗江古城はとっても複雑なので、初めて行くとかなりの確率で迷います。)

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#ナシ族のママが切り盛りしている気持ちのよい宿で、部屋からみる麗江の屋根の景色も圧巻。

ママは、とても気さくな方で、天空の城ラピュタのドーラのような人。優しくも力強さをもった女性だった。

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そして、そのママがつくるご飯がとっても美味しい。20元払って、6時にロビーで待つと料理が食べられる。

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雲南省はこの時期は、雨季なのだが運良く天気がよく洗濯をして、街を散策した。街にはナシ族の衣装を着た人を多く見かけたが、大理でみたペー族の衣装を着た人も何人か見かけた。

この複雑な古城内を見下ろしてみたいと思い、丘に登り街を見下ろす。さすがに世界遺産になるだけあり素晴らしい風景を見る事ができた。

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(2012.9.11)

中国横断記⑤ 大理

#続編

中国など、特に国土が大きい国を旅する時の移動手段として長距離の列車がある。寝台のタイプのものや日本の新幹線のような座席のタイプもある。中国は、新幹線を走らせる程の技術力がある為、インフラの整備は東南アジアよりも進んでいる。

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それでも、細かな移動や地方に出かけるにはまだまだバスが主流です。このバス移動が結構厄介で、トイレが備え付けられていることは極めて稀で、大体は途中何回かトイレ休憩がある形です。

少数民族の料理を食べたりして、運悪くお腹を壊した時など、体調に不安があるとバスに乗るが億劫になるので、その当たりはうまく調整する必要があるかと思います。

さて、旅はとんとんと進んで、雲南省の大理へと昆明からバスで5時間かけてやってきた。

期待していた少数民族の暮らしは、大理古城内では見られず、待っていたのは観光地化したテーマパークだった。大理のように少数民族の暮らしは、この後に行った麗江もどうように無理矢理にテーマパーク化された中で本来の生活様式はいくぶん壊されているような印象をうけた。

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それでも、根気強く街を散策するとその地の暮らしぶりがほんの少しだけ垣間見ることができる。目を付けたのは市場だ。鶏や豚がその場で屠殺され、魚は生きたまま売られている。屠殺された家畜は、ちかくのせせらぎのような所で解体され、細かい部位に分けられて市場に並ぶ。

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各店先には天秤などがあるだけで、冷蔵庫などの機器は一切ない。皆が買い物かごを背負い、食材の値段交渉をする。家畜が次々に屠殺される目を背けたくなるような光景も涼しい顔をして素通りする人たち。生きることは命あるものを食すこと。そんな当たり前だけど、無視してきたことを突きつけられている気がして思わず後ずさりしてしまう。

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(2012.9.8)

中国横断記④ 桂林

#の続編

日本でも海外でも旅先の大きな楽しみの一つはやはり、その地の食事だ。

朝、7時頃に微かないい香りに気付き目を覚ます。機内食の配膳が始まっていたのだ。

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あたたかなおかゆと肉まん。どちらも絶妙な塩加減でとても美味しかった。

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桂林に到着し、すぐにまた次の目的地(昆明)までのチケットを買う。今回は、筆談ではなく英語が通じる職員だった為、スムーズにチケットをとることができた。

その後、桂林で有名な景勝地へ向かうバスに乗り込む。

・  ・難しいことは言わずにとにかくここでは写真を。

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生で見る桂林の景勝地は圧巻だった。景勝地スポットへは、桂林の駅付近のツアー会社に申し込むといい。相場は200元前後。ただ、外国人だとふっかけてくる会社もあるので要注意。でも、値段に関わらずその景色はやっぱり圧巻だと思います。

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(2012.9.5)

中国横断記③ 初めての大陸横断鉄道

#続編

長距離バスをはじめ、次の地へ向かう時にどの手段を選び、またそのチケットをどう手にするかを考えるのことはバックパッカーにとっての必須の課題になる。

宿でチケットを手配してくれる場合もほとんどだが、現地の言葉を自ら覚え窓口に突っ込んで行くことも大切だと思う。何事も挑戦していくことでいい出会いがあるものだ。と自分にいいきかせて上海中心に大陸横断鉄道のチケットを買いに向かう。

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写真の下側にある券売機は、中国人のみ利用ができ、外国人の僕は窓口にて直接それを求めなければならない。しかし、割と簡単にチケットを買う事ができた。

T81という列車で、上海南駅発、南寧が終点のもの。「T」というのは「特急」という意味。中国の列車は早いものから「G(高速)」「D(弾線)」「Z(直達)」「T(特急)」「K(快速)」という頭文字がついている。頭文字の意味はカッコ書きないの感じの中国語読み頭文字。「G」と「D」は新幹線だ。

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三段のベットのうち、僕は一番下。同じ「部屋」は、僕と同い年の女の子で英語もできた。どうやら、ベットの下段は他の乗客達の「席」代わりとなりこれが交流のきっかけとなりとても楽しい。

桂林までは、24時間程かかる為、それまで読書をしたりして時間をつぶす。夜22時頃に早めに床について眠りに入った。

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(2012.9.3)

中国横断記② 上海

# の続編

一人で旅をするのはこれが初めて、ましてや海外も同じく。

国内を旅行する時もいつも友達と一緒であった。

予想はしていたけれど、日中の情勢もあって乗客はほとんどが中国人だった。わずかにいる日本人は皆、40歳前後のビジネスマンで若者は僕一人という感じだ。

航空会社は、中国東方航空。機内食は、魚の酢漬けのようなもので中華要素は特になかった。

飛行機に乗るは、大学二年の夏に青森に行った時以来。久しぶりの空の世界に心躍りながらも

疲れですぐに眠りに入った。上海まではそれ程遠く感じられず、4時間もかからずにつく。

17:00頃、上海虹橋空港におりたつ。

すぐに地下鉄に乗り込み、宿を探しに行く。上海の地下鉄は想像していたよりもずっと奇麗だった。

そして乗客も奇麗な服やブランド物をみにつけた人が多く、日本の地下鉄と然程かわらない雰囲気だった。

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宿は、YHA(Youth Hostels Association)加盟のホステル。職員は、僕と同い年くらい子達ばかりで英語も伝わる。

YHAは、世界各地に展開していて、後々中国国内の宿を探すときもそのマークがひとつの指標になり、宿探しに困った時にとても便利。

簡単な会員登録もしてもらい、これで次回以降YHA加盟の宿を割引(10%)で使える。

ポルトガル人、ドイツ人、ブラジル人と相部屋で彼らは皆上海の外資系企業のサマーインターンに来ていた同い年の学生だった。ここのホステル自体、バックパッカーはほとんど宿泊しておらず、彼らのような学生がほとんどだった。

ホステルの周辺は、上海中心地から少し離れていたこともあり、スラムのような粗末な家屋も見られた。慣れない地に来た事もあり疲れていたため、近所のラーメン屋で軽く食事をした。

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何の肉かは、わからず、期待していた程美味しくはなかった。メニューは、漢字表記なので理解はでき、また英語メニューもあった。

その後、散策はあきらめすぐに宿にて眠りについた。

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(2012.9.2)

中国横断記① 行き先も決めずの旅

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横浜から羽田に向う高速バスの中。初めての一人旅にわくわくしつつブログに今の気持ちを残しておこうかと。
今日から中国に行ってきます。初めての一人旅でかつご存知の通りの反日騒動なので帰りの便はまだ取っていませんがVISAのこともあり最長でも1ヶ月だと思います。
到着してまず向かうのは世界的に有名な桂林という地です。しかし、その後のことは現地の状況を確認しつつ決めようと思います。簡単にまとめてしまうと上海から中国を横断する旅です。
ユーラシア大陸を横断、アメリカ大陸を横断・・・・
「横断」というととても壮大なイメージがあるので、中国を一ヶ月かけて旅をすることは横断というのがふさわしいかどうかは微妙なところです。
出国前に友人から、横断といってもどうせ主要な都市をまわるだけでしょ。と言われてしまいましたし、確かに世界一周などの長期の旅と比較したら僕がやろうとしていることなんてちっぽけなことです。
大学三年の夏休みは、早くも一ヶ月が経過してこの期間に海外インターンに赴いた女子大生が殺害され、紛争地域を取材していた方がその地で亡くなられた。また、今回の中国各地での暴徒化。
今日本から海外にでること、特にリゾート地以外は嫌な逆風が吹いている気がしてなりません。
 自分のことに関しては、こんな時に何故中国?日本ではだめなのか。と思う方も多々いらっしゃると思います。
でも僕としては、多種多様な人々が暮らす大国がどのようなものなのか、また今まで漠然と抱いている中国に対するイメージと真実はどうなのかを突き詰めてみたい気持ちはこんなときだからこそ強くなっていきました。
それはほぼ直感に依るところが大きい。打算的にならずに飛び込んで行きたい。
今、テレビでニュースを見ていているとうれしいニュースというのは本当に少なく、ほとんどが人が亡くなったことなど悲しいニュースばかりですし、そこから得られる情報の大体は表面部分のみだと感じられる。
本当にうれしいニュースや真実を得るには自分で足を運んで自分の目でみて感じなければならない。
出来事の表と裏をしって初めてその真相がわかる。
そんな真相をたくさん追い求めに、僕は中国に行ってきます。

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(2012.9.1)