
集うひとたち / リスボン.ポルトガル

路面電車 / リスボン.ポルトガル

タルト / リスボン.ポルトガル
Pain is inevitable,suffering is optional.

集うひとたち / リスボン.ポルトガル

路面電車 / リスボン.ポルトガル

タルト / リスボン.ポルトガル
とある年の春にミャンマーを旅しました。春と言っても年中暑いので、春らしさはなく毎日とても暑かったー。それでも湿度は低めなので、いやらしい暑さはないです。3週間ほど滞在できたので数回にわけてその時の様子を紹介します。

まず降り立ったのは、ミャンマー北部にあるマンダレーという都市。人口はおよそ100万人ほど。成長著しいこの国は、若い人が多く、独特の活気と明るさであふれています。

まずは腹ごしらえにと、街かどのレストランへ。豊富な種類のお惣菜に目がとまりました。野菜の特徴をひきだすシンプルな塩ベースの優しい味付けがうれしい。

別アングルから。唐辛子をふんだんにつかった辛い系統の惣菜もあって飽きません。どれも美味しかった!

惣菜だけでなく、麺料理もあります。これはシャンヌードルといって、シャン族という少数民族の民族料理。鶏ガラのスープと米粉麺があっさりしていて美味。パクチーも入っていて、これぞthe 東南アジア。

ぶらぶら歩いてみると、国内でこそ大都市と呼ばれるマンダレーですが、風景はどこか懐かしい素朴なもの。いつか写真でみた古き良き日本の原風景とどこか重なります。

大人から子供まで、多くの男性が着ているこしまきのようなものがきになりました。これは、ロンジーといって輪状に縫った布を腰を中心に寄せてはくもの。伝統的な民族衣装で、職業毎に決められた色と模様があるみたいです。(文化学園服飾博物館編「世界の伝統服飾」より)

日本でいう部屋着の一種ではなく、仕事中の方も着用されていてなかなか便利なアイテム。

シャツにも合わせられるので、割とかっちりした場でも着られているのかなと妄想が膨らみます。

自分もお土産用に一つ購入。こういう無骨なお店っていいですよね。

ミャンマー人の大半は上座部仏教を信仰する経験な仏教徒です。なので、そこかしこにお寺があって、お昼やすみなどには人でいっぱいになることも。


手を合わせて何かを願うひとたち。どんなことを思っているのか。。気になります。自分も旅の安全を祈願しました。

いわゆる一般の方でもその敬虔さが伝わってきますが、それを職業にしている僧侶はさらに見応えがあります。タイミングよく托鉢時間のお寺を訪れました。

鉢。ここに施される食べ物が載るわけです。手から優しさがにじみ出ている。気がします。

正面から。この歳にして威厳のようなものを感じる。

背面から。えんじ色が延々と並ぶ光景はまさに圧巻のひとこと。このお寺には軽く1000人を超える僧侶が托鉢をまっていました。どうやってその人数分の食料を用意するのかが気になります。

街の中心街に戻ってきて、ひとやすみ。アイスクリームなど甘いものをだしてくれるお店を発見しました。

シンプルな味付けながらも、意外と美味しかったです。

マンダレーには、軒先きにゲリラ的オープンのフルーツジュース屋が多くて、なかなか絵になります。


その中のひとつに目がとまりました。アジアの屋台飯は、それが醸し出す独特の雰囲気が好きなのでいつも挑んでいるものの、飲み物となると少し気が引けてしまうので敬遠してしまいます。

ですが、このお店は、家族全員で切り盛りしていて、ここにいたいなという気持ちになりました。というか、看板娘のこの子が綺麗な目をしていて……動機が不純すぎますね。すみません。


肝心なジュースですが、思っていたよりもだいぶ美味しかった!し、特に正露丸にお世話になることもありませんでした。ラッキー。

ゲリラ的露店は、扱う商材がなかなか豊富です。それがこれ。

そう、噛みタバコです。直接たばこの葉に石灰を混ぜる昔ながらのタバコ。ミャンマーでは、特に30代以上の方は、これを常習しているように見えました。


興味本位で挑戦…するはずもなく、そこらへんの人のやつをかりて記念撮影。見た目は綺麗ですが、歯茎がぼろぼろになっている人をみかけるあたり、手強い存在です。

夕暮れのウーベイン橋にて。どこまでもひろがる穏やかな空気がとても気持ちよい。ずっとここにいてもいいなという気持ちになります。
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ミャンマー第二段は、山岳の街 Kalaw(カロー)をご紹介します。
ちょうど一年ほど前のことですが、イタリアのジェノバに行ってきました。

日本人的には、ローマやフィレンツェ、ミラノ…などなどの方がポピュラーですが、ジェノバはイタリア最大級の貿易港をもち、人口もイタリア内6位。侮ることはできません。…というのは建前で、当時住んでいたオランダからイタリアへ行く一番安いチケットがジェノバだったので行ってみました。でも、予想以上に気持ちのよい街でしたので、いくつか写真を交えて振り返ります。


まず街の構造ですが、海に面している箇所が中心街で駅やレストラン、スーパーなどがあります。そこから、なだらかな斜面になっていて住宅が軒を連ねている形です。上の街にいくほど一軒家が増えていく形から推測するに、標高に比例して地価があがっているのかなと思います。まあ中心街に近いところにできるだけ多くの人を住まわせるために集合住宅が集まるのは当然といえば当然ですね。

中心街は非常に活気が溢れていておもしろいです。貿易港があるためか、人種も様々で多様性があります。でも、思っていたほどアジア人はいませんでした。観光客も少ない印象。

ちょっと路地に入るとたちんぼがいたりしてひやひやしますが、どことなくアジアっぽい熱量にどこもかしこも溢れているのがなんかいいです。

街角に出張本屋さんがありました。こういう小さな本屋って、店主のセンスがもろに体現されるので大好きです。


暖かい街なので、食材も豊富なのかマーケットがありました。ナスの形が印象的。ヨーロッパのなすはやけにでかいです。オリーブが4ユーロ/キロ。安い。

ジェノバは漁港でもあるので、やはり魚介類が豊富です。そこかしこに魚屋があります。イカだけとっても複数あるのをみても、豊富な漁場なのでしょう。




多くの地元民で賑わう惣菜屋を発見。おいしそうな惣菜が複数。回転がものすごい早いので、地元民に負けないように魚介系ピザを注文。

一緒に旅行した友達もがんばって注文してました。面白いお店だった!

そんなこんなで次なる街、トリノへイタリア横断鉄道で向かいました。

東横須賀の小さな街、走水にて地あなご丼をいただきました。あふれんばかりのあなご。身がやわらかく、濃厚なたれとの相性ばつぐんでご飯が進みます。なにより地産なのがなんかいいです。

走水はじめ横須賀の東部は、アクセスがいくぶんわるいからか、昔ながらの雰囲気がそのまま街に残っているので、背伸びせずにいられます。気持ちいいことです。

そのまま足をのばして、浦賀港。渡し船、ぽんぽん船に乗りたくてやってきました。

が、ちょうどタイミングよく対岸へ出港してしまったので、これはまた次回ですかね。

停泊している緑の船と赤の船がきれい。なにか修理していました。湾内のなんでもない風景ってなんかいいですよね。
やっと春らしくなってきました。新しい一歩を踏み出す季節です。
折に触れて遊びにいく葉山も、葉山芸術祭に向けて活気付いている雰囲気あり。今年の芸術祭も楽しみです。写真は、毎週土曜日の森山神社土曜朝市。のほほんとしていて気持ちいい。

暖かくなってきたのに合わせて自分らしさが戻ってきたので、家探しをかねて東京にいってきました。東京を歩き回る体力をつけるべく、まずはあの名言を刻みに懐かしのニュー新橋ビルへ。

カレー飲み物。
今回いただいたのは、赤い鶏のカレーにフライドオニオン、バクチー、味玉をトッピングしたもの。
久しぶりに行ったので、トッピングを番号で頼むを忘れてました。他にも福神漬け、ポテサラなどをチョイス可能。面白いお店です。

肝心なルー。あふれんばかり、というか溢れ出すルー。本当に飲み物風にだされます。
暖簾のインパクトから一瞬、二郎系のジャンキーさを連想してしまいますが、カレー自体はかなり真面目。スパイスが効いているので辛口ですが、玉ねぎの甘さがしっかりと凝縮されている深みのある味わい。名前とのギャップに惚れます。毎回、カレーは飲み物か?と懐疑的になりますが、ここの店主が言うんだから、飲み物なのだろうと。納得してしまいます。

飲みほした後、大江戸線に乗りこみます。

アイドルがライブをやってました。メロディーは少しEDM系統を感じさせつつ、何かを主張したそうな歌詞。中々パンチ力はある模様。きになる。

向かった先には、清澄白河。ブルーボトルコーヒーがオープンしてからというもの度々耳にする街です。ミンハーと呼ばれるのを恐れて敬遠していましたが、そろそろ落ち着いただろうと思い、行ってまいりました。人形町から大体の目星をつけてあとは気のむくままに散策。


こころへんは、新しめのカフェでも暖簾がかかっていたりして、新旧の調和が感じられます。歩いているだけで、気持ちいい街です。

古くからあるんだろうなあというお店もやはり見ものです。表具店って何を売っているのだろう。。気になります。

質屋もありました。実際に売ったことも買ったこともないですが、CtoCが流行っているいまだからこそ、価格の見定めかたなどを教わったりしたいなと妄想が膨らみます。

都度発見があるので、当初の目的地ブルーボトルコーヒーからは遠ざかるばかり。そんな中、発見したのは、Black Bottle Coffee。住民のユーモアが感じられます。でも、もしかしたら、何かの皮肉?

ようやく到着。思っていたよりも、ふたまわりくらい背の高いお店です。マンションの4階分。でかい。そりゃあ、中でハンドドリップのコーヒーを待つのは格別なんだろうなあ。混みすぎてて入るのは断念。くそお、またリベンジしたいです。

ガラスの工房が目にはいりました。GLASS LABさん。写真右横にある醤油さしを衝動買い。店主の方がとてもきさくで作業スペースもみせてもらいました。


形、色、様々なガラスがあってとっても面白い空間です。ガラスを磨くのにも様々な種類の砥石があって、それぞれで粗さが変化するのを体感。日用品を手にする感覚がなんともいえない。

いろいろとお話を伺う中で、くだんのブルーボトルコーヒーが上陸する以前も、素敵なお店は元々存在していたとのこと。それらがうまく調和して、面白い人を惹きつけ、バランスがとれた街になっているそう。古すぎず、新しすぎず。ここは、人が人らしく住んでいる暖かさみたいなものがあることを感じ取りました。いつか、絶対住んでやる。
この後、さらに日本橋から麻布十番、広尾、恵比寿、代官山、そして最後に中目黒と、東京を大満喫。地図をかたてに歩き回る楽しさをかみしめてました。次はどこにいこうかな。
ちょっと前(2015年3月)のことになりますが、ポルトガルのリスボンに行ってきました。
その時住んでいたオランダのデルフトは、どんよりとした天気の毎日でニット帽とマリンパーカーが手放せず、どこか天気の良いところに行きたいなあと思い、さくっと格安航空券サイトで手頃そうな行き先をいくつか探して、値段と真新しさ的にリスボンを選びました。
アイントホーフェン空港からさくっと2時間程でリスボンに到着。着いた瞬間に、パーカーできたことを後悔しました。暑い、そして、坂が多い。
リスボンにいくなら絶対に食べておけと、同僚の仲間から言われていたエッグタルト。確かに、かなりの美味。エスプレッソと一緒にたぶん10個は軽く食べた。
リスボン名物の発見のモニュメント。目の前が運河で、空も広く感じられる気持ちのよいところでした。
リスボンをぶらぶらと歩いていてふと気になったのが、タイル。リスボンはタイルの街だ!と言わずにはいられないほど、多彩なタイルを発見することができました。それからは、タイルを見つけてはパシャパシャと写真を撮っていたけど、なんだかんだで一つも同じタイルは見当たらなかった。
せっかく海辺の街にきたのだから、美味しい魚料理が食べたい。毎度、一人旅をする時はこじんまりとした小さなお店を探したりするんですが、今回気に入ったのはまだできてばかり(たぶん)のフードコート。イメージ的には「俺のフレンチ」みたいな感じで、気軽ながら本格的な魚料理を楽しめます。生牡蠣やツナサンド、そしてお寿司も!
リスボンにきてから気付いたのですが、リスボンはユーラシア大陸の最西端なんですよね。こういうのには弱い僕。さっそく行ってきましたが、地球の広大さを感じてただ感動するばかり。
そんなこんなで市街に帰る途中、仲良くなったおっちゃんとエッグタルトの話しになりました。どうやらリスボンが発祥だそう。しかも、その発祥のお店はまだ残っているのだとか。
旅の終焉。泊まっていたやどの近くに海を眺めることができる小高い丘があった。旅行者から、現地の若者、老人まで本当に色んなひとが楽しくビールを飲んでいました。こういうのっていいな。いつかはうみの見えるあったかいところに住みたい。そんなことを思いながら帰路につきました。
*So* much time spent in front of a screen to make something tangible, weird huh?(Kai Branch)
-手に取れる何かをつくるために、いくぶん長過ぎる時間をデジタルの世界にいたんだ。何かおかしいって? (2015-1.20 Offsreen vol.10 刊行によせて. Kai Branch)

いつどこでこの雑誌を知ったのかは忘れてしまったのですが、僕はOffsreenという雑誌が好きです。
日本だと、麻布十番にあるセレクトショップか、もしくは船便で輸入という方法でしか手に入れられない雑誌。
テクノロジー業界を生きる開発者達のプロダクトの背後にあるストーリーを紹介するというもので、ラッピングされて
届きます。今住んでいるオランダだとアムステルダムのとある書店で購入できますが、そこでもラッピングされていて、買うまで
一切中身を見ることができません。でも、それもひとつの仕掛けで、編集長のKaiは、ラップをはがしたときに広がる紙の香りを楽しんでほしいと言っています。
With the omnipresence of technology and the web, we easily forget what goes into making our digital lifestyle possible. Offscreen is a printed magazine that examines and celebrates the hard work and creative thinking that happens behind the scenes of websites, games and apps.
テクノロジーやウェブといったものが偏在していることで、一体どんなもの/こと/人がこのデジタルライフを可能しているかを中々見つめる機会がない。Offsreenは、紙媒体の雑誌だ。それは、webサイトやゲーム、appまであらゆるデジタルスクリーンの背後にいる、熱心でクリエイティブな開発者達を探るものなんだ。
プロダクトやwebサービスなど、手に触れられる質量をおびたオブジェクトからデジタルなオブジェクトまで、何故彼ら/彼女らはそれを開発するに至ったのかというストーリーを知るのがもともと好きです。
Offscreenの場合、そこをまさに捉えているのにとても感銘を受けています。デジタルの中に潜んでいる手に触れられるストーリーを、紙で伝える、また読者の感受性を誘発するような仕掛け-例えば、ラッピングを剥がす時の紙からくるにおいをかいで”嗅覚”を鋭くしてほしい- などこの雑誌には随所にテクノロジーの業界で起きていることを質量をおびた話しに展開できるように工夫されています。
テクノロジーの進化ってどこか敬遠されるような要素も含んでいる気がするけど、開発者達の思いを知ることでそのイメージが払拭されることもあるし、なによりもテクノロジー関連の研究をしている自分にとって何か背中を押してくれる気がしています。
*So* much time spent in front of a screen to make something tangible, weird huh? I think this is also the longest I’ve ever focused on any one thing. To be honest, I’m tired (ok, it’s been a long day), but I’m also equally excited about everything.
手に取れる何かをつくるために、いくぶん長過ぎる時間をデジタルの世界にいたんだ。何かおかしいって?(中略)Offscreenを作って行った時間というのは、これまの僕の人生で最も何かひとつのことに集中した時間だと思う。正直いって、Offsreenなものをつくるために、screenにずっと向かっていることなどに、とっても疲れました。でも、ぼくはそれと同じくらいあらゆることを楽しんでいたよ。(2015-1.20 Offsreen vol.10 刊行によせて. Kai Branch)
日本人の開発者で誰がインタビューされるかが楽しみでならない。
中国を旅したのは二年前。当時、領土問題に揺れていた日本と中国。
戦後最大の半日活動といわれて、連日のように放送される中国現地の映像をみて
渡航を決めたのをふと思い出しました。
そんな中国について、今とこれからはどうなっていくかについて書かれた
20 Facts About China You May Never Heard Of
という記事がなんとも軽く、シニカルに中国を捉えていたので
いくつか抜粋して紹介したいと思います。Facts と書かれているけど、それが真実かはまた別の話。
■ 中国では、ガールフレンドをレンタルできるウェブサイトがある。その最低価格はなんと、$31! 中国に今すぐ行きたいって?やめときな、だってそれは….

■ 中国には、かなり多くの英語話者がいる。その数はアメリカ在住のそれよりも多い。

■ 中国は、サンフランシスコの環境汚染に加担している。その割合は3割にのぼる。中国の環境汚染はあまりにも有名、だがその仲間を増やす事にも力をそそいでいるようだ。

■ 中国人は、鳥の巣スープが大好きだ。その”上品さ”はアジアではわりとポピュラーだけど、君はトライできる?

■ 中国人は、辛いものへの熱い情熱が半端ない。でもその情熱が災いして、胃に穴をあけた人もいる。

■ 中国のとある10代の若者は、iPadを手に入れるために腎臓を売った。-もしそのおもちゃが盗まれるなんてことがあったら彼は一体何をするのかわかったもんじゃないね。

■ 中国は最も頭脳流出が激しい国だ。海外大学へ進学した7割の学生は中国に戻ってこれない、いや戻ってこない。その内もっとも人気なのはアメリカだ。

■ 俳優ブラッドピットは中国に入国できない。彼が出演した映画 “Seven Years in Tibet”が原因でね。

■ 2025年までに、中国にはニューヨーク規模の都市が10カ所もできる。

■ 中国では、昼寝する為だけにIKEAにいくのがオッケー♩ 他の国にはない、まったく素晴らしい風習だ。

■ Yangshouの自然は本当にすばらしい。ここは世界でも最も美しいところといわれている。

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やっぱり僕は中国が好きだ!またいつか行ってみたい!
1日目の朝は、ベルが鳴る4時よりもだいぶ前に目覚めた。まず、ベットがあまりにも固くて気持ちよく眠ることができない。それに加えて、近くのお寺から流れる大音量のお経が安眠を妨げた。お経というよりも、何かの呪文が一晩中流されていてそれだけで気が狂いそうだった。この呪文というのは、サッカー日本代表が中東のチームと対戦する時に、しばしば試合中に流されるコーランのような感じだった。
最悪の寝起きの中、朝の4時半から早速修業が始まった。座禅を組み、上唇と鼻の間に三角形のポイントをつくり、そこに全神経を集中させる。1時間も経つと身体のあらゆるところが痛みを訴え始め、その都度、何度も何度も足を組み替えてしまう。ただ目を閉じることさへままならない。目をとじた時に、迫り来る孤独の間に耐えられないのだ。自分のもろさを痛感しながら、辛抱強く呼吸を観察しながら全身をチェックしていく。やがて、徐々に心にメスを入れる。心理は過去に飛び、そこからいきなり未来へと飛んだかと思うとまた過去にいく。Mr.Childrenの「I’ll be」の歌詞の一節を思い出した。
心はいつだって捕らえようがなくて
そんでもって自由だ
人生はいつもQ&Aだ
永遠に続いていく禅問答
そしていつの日か僕もdead dead dead
こんな調子で初日は、この「自由」な心をコントロールすることができず、二日目の夜に発熱してしまった。海外にでると僕はいつもこんな調子だ。何か緊張を伴う事に挑む時、体に熱がこもってしまう。こんな調子で10日間もやり通せつ気がしなかった。いっその事リタイアしてしまおうか?そんな弱々しい自分がいた。心理はやがて、幼少期の忘れかけていた記憶へ歩み始める。
すっかり忘れかけていたこととして、小学1年の時、川で溺れた時のことをふと思い出した。溺れ死んでいてもおかしくない状況からなんとか這い上がって生き延びたこと。あの時の苦しさを思いだして、何故だか気が少し楽になる。発熱していてフラフラな状態を苦しみとせず、ただ観察する。
痛みをただ観察し、そこに付随する感情に流されない。それを心がけていた。熱はやがて体外に出て行き体が一気に楽になっていくのを感じていた。
これまでの人生で、痛みを感じたらすぐにその打開策といった手っ取り早い答えを探してしまった自分を反省しつつ、痛みから目をそらさない、真の意味で自分と向き合う自分を創ることを目標にする。
単純なことなのだが、
志は、気の師なり。(孟子)
現在のあなたは、過去の思考の産物である。そして、明日の夜のあなたは、今日何を考えるかで決まる。(ジェームス・アレン)
目標を身につけたことで、自然と修業に身が入り始めた。こんな形で、最初の4日間はあっという間に過ぎて行った。まだ、半分も来ていない。でも、着実に前に進んでいる感覚だけは確かにそこにあった。
トゥクトゥク、リクシャ、はたまた長距離を徒歩。旅先の細かな移動をどうするかは、旅人にとって必須の課題だ。ここミャンマーではタクシーは、ピックアップといい、これは主に空港など1時間以上の移動の際に使い、あとは普通のバイクが主流。目を合わせると「モーターバイク、モーターバイク!」とぎらぎらとした目で訴えかけてくる。外国人は上客だから相手も必死なのだ。
値段交渉は、最初に提示される額の半額程度で落ち着く事がほとんどで、割と安くすむ。ふっかけてくるものの結局は、優しいミャンマー人は、こちらの要望をのんでくれる。
今回、マンダレーの中心街から瞑想センターまでは、15キロ程離れたところにあり、同じ宿に泊まっていた修行参加者のルーマニア人とピックアップをシェアする。
12:00に宿をたって、途中迷いながらも13:00過ぎにセンターにつき、簡単な申込書みたいなものにサインをし、各々挨拶を交わす。センターは、小高い丘の下にあり、とても静かなところにあった。つい先ほどまでの都会の騒がしさが嘘のように静かだった。
食堂を通り、物置のようなところでシーツや布団の類を渡された。どれもペラペラでクッション性は皆無だが、概ね清潔。トイレットペーパーも一つ頂く。
部屋へと案内された。ドミではなく、個人部屋。一軒家のような建物がいくつかあり、その中に四つの部屋があり、それぞれに一人ずつ収容される。シャワーはなく、代わりに蛇口がついてるだけなので、毎夕方のtea breakの時間水浴びをしていた。Hot water とあるのだが、そこまで温かくもなく、また強烈な臭いがするので、使用するのはやめておいた。蚊帳もついていて概ね過ごしやすい。
15:30から事前の説明があるようで、結局のところかなり余裕をもって到着した模様。持って来た荷物から衣類のみをひっぱりだし、その他のものを全て貴重品と預ける。この衣類以外のものを全て預けるのは、重要なルールなのだが、特に厳しい取り締りがあるわけではない。そのルールを破って、何かを持ち込むことだって可能ではある。薬や、持って来たノートなどを持ち込んでしまおうかと逡巡するが、迷いを断ち切り、衣類以外のすべてを預けた。
最後に迷った時に大切にしている一つのコピーを音読した。
『遠い灯として』
遠い灯として
真っ暗な道を行く時にも
遥か遠くに村の灯火が見えたら
勇気をもって
一歩一歩を踏み出して行ける。
詳しそうだったり
大事そうだったりする地図よりも
遠くの灯火のほうが
人を力づけられるものだ
「ここに人がいます。」
「ここまではこられますよ。」
「ここは悪くないよ。」
そんな声が灯の下に聞こえてくる。
まずはあの村の灯まで歩いていこう
あの灯から目をそらさずに
ここからさきは頼れるものは何もない。ただ、己の中わずかにある灯から目をそらさずに新しい明日に向かって行くしかないのだ。
いよいよ、聖なる沈黙(noble silence)が始まった。