ミャンマー瞑想記④ I’ll be

1日目の朝は、ベルが鳴る4時よりもだいぶ前に目覚めた。まず、ベットがあまりにも固くて気持ちよく眠ることができない。それに加えて、近くのお寺から流れる大音量のお経が安眠を妨げた。お経というよりも、何かの呪文が一晩中流されていてそれだけで気が狂いそうだった。この呪文というのは、サッカー日本代表が中東のチームと対戦する時に、しばしば試合中に流されるコーランのような感じだった。

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最悪の寝起きの中、朝の4時半から早速修業が始まった。座禅を組み、上唇と鼻の間に三角形のポイントをつくり、そこに全神経を集中させる。1時間も経つと身体のあらゆるところが痛みを訴え始め、その都度、何度も何度も足を組み替えてしまう。ただ目を閉じることさへままならない。目をとじた時に、迫り来る孤独の間に耐えられないのだ。自分のもろさを痛感しながら、辛抱強く呼吸を観察しながら全身をチェックしていく。やがて、徐々に心にメスを入れる。心理は過去に飛び、そこからいきなり未来へと飛んだかと思うとまた過去にいく。Mr.Childrenの「I’ll be」の歌詞の一節を思い出した。

 

心はいつだって捕らえようがなくて

そんでもって自由だ

人生はいつもQ&Aだ

永遠に続いていく禅問答

そしていつの日か僕もdead dead dead

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こんな調子で初日は、この「自由」な心をコントロールすることができず、二日目の夜に発熱してしまった。海外にでると僕はいつもこんな調子だ。何か緊張を伴う事に挑む時、体に熱がこもってしまう。こんな調子で10日間もやり通せつ気がしなかった。いっその事リタイアしてしまおうか?そんな弱々しい自分がいた。心理はやがて、幼少期の忘れかけていた記憶へ歩み始める。

 

すっかり忘れかけていたこととして、小学1年の時、川で溺れた時のことをふと思い出した。溺れ死んでいてもおかしくない状況からなんとか這い上がって生き延びたこと。あの時の苦しさを思いだして、何故だか気が少し楽になる。発熱していてフラフラな状態を苦しみとせず、ただ観察する。

 

痛みをただ観察し、そこに付随する感情に流されない。それを心がけていた。熱はやがて体外に出て行き体が一気に楽になっていくのを感じていた。

 

これまでの人生で、痛みを感じたらすぐにその打開策といった手っ取り早い答えを探してしまった自分を反省しつつ、痛みから目をそらさない、真の意味で自分と向き合う自分を創ることを目標にする。

単純なことなのだが、

 

志は、気の師なり。(孟子)

現在のあなたは、過去の思考の産物である。そして、明日の夜のあなたは、今日何を考えるかで決まる。(ジェームス・アレン)

 

目標を身につけたことで、自然と修業に身が入り始めた。こんな形で、最初の4日間はあっという間に過ぎて行った。まだ、半分も来ていない。でも、着実に前に進んでいる感覚だけは確かにそこにあった。

投稿者: daisukecheng

About: 混沌とした世界とSUPが好き

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